2012年 宇宙の時(時空)は 転換している

                                                    <h2>カナーンの本質は「陰」である</h2>

 

 カナーン人とはそのようにもっぱらこの現実の世界、そして「思考」という形態で彼らの動作や仕草があるのではない。

 彼らにある原理とは、人間内部にあるエネルギーである陰極との科学反応現象である。

つまり彼らは、人間が「陽の気」である場合、多くはその人間に対して反応も示さず、つまり働きけることができない。

 だから、カナーン人というものがいたとして、そのカナーン人が、自分の周囲で「うろうろ」しだしたら、人間は注意を必要としよう。特にカナーン人にみられる行動は、人間の目に付かない場所、後ろなどに立って、その人間の気をコントロール、つまり陽極から陰極に変えようとする。

 つまり「冥界」「迷界」という位置にその人間の心理を置こうとするということ。その迷界というものは、つまり人間にとってみたら「わからない」という心理にしようとする。

 例えばオフィス、人間がいる、カナーンも、二人っきりで仕事をしているとする。その人間にはそのカナーンがどこにいるのか、どの位置にいるのがわかる。その人間の内部には「迷界」はない。ところがそのカナーンが突然立ったと、そのオフィスを出て行ったと。その人間は思う、あれ、どこか行ったな?トイレかな?さっきも出て行ったしな?どこへ行ったんだろ?という心理になると、その人間の意識界はすでに迷界にある。つまりその迷界にあるその人間の心理から、「もしかしてあの野郎は何かを企んでいるのではないのか、何が自分に危害を与えようとしているのではないのか?」という「疑い」をそこに引き起こす。

 人間にそのような迷界が引き起こされるということは、その人間の気は、すでに陰極に属する。その陰極になったときに、カナーンは陰極体であるから、その自分にある陰で、相手の陰気、つまり心理に働いて、その心理を攻撃することができるという、空間を出現させるということ。

 だからカナーンにある最も大きな一つの要素として、彼らは紛れもなく「陰」という何らかの存在であり、陰という力から生じている、何かしらのエネルギー体である。

 

彼等そのものは 太陽系 宇宙の存在に属していない

  カナーン人について、その構造的なもの、態度や仕草を生じさせている原理とは何か、概要を述べた。そのカナーンについて、現在もし人間が対応できるとしたら、彼らの存在をハッキリ、「偽」と捉えることである。宇宙を構成している根本的な原理として反と正があるわけであるが、カナーン人とはそのうち反、偽、悪、醜を司る世界のもので、決して太陽系宇宙の存在には属していない、と考えなければいけない。神が=太陽系であるとしたならば、神は真、善、美を司るものであるが、その逆の世界、偽、悪、醜を司る世界、カナーンはその世界の存在である。

 だから、彼らは本質的に、彼らの口や体、つまり言動行動は、一切が実は「偽」で成り立っており、偽がまずかれらを構成する原理である。つまり口から出ている言葉も態度も100%が嘘になる人間はまずこの世にはいない。つまり24時間、一生涯、すべて、口から出る言葉も態度も行動も嘘であり、偽りとなる人間、そんな人間はまずいないだろう。ところがカナーン人は、実質、エネルギーを持たないといった。すなわちそれは、「人間性」そのものを持たないことを意味する。つまり彼らの口から出ている「人間の言葉」とは、人間から発生しているものではない、つまり人間から発生する言葉でない以上、彼らの口から出ている言葉は、すなわち「人間の言葉」は、すべて偽りということになるのだ。つまり「人間」、並び「人間性」には合致しない、ということになる。

 彼らの生活や態度、が必ずしも邪悪というものを、外に示すものではない。つまり彼らは必ずしも人間との交流において、態度の低い人間であるとか、粗暴な人間、ゴロツキやヤクザのような言動、態度を取るというわけではない。彼らの口からでている「人間性」を思わせる言葉とは、人間性から生じているものではない以上、彼らが語っている「人間性」そのものは、彼らの内部には存在していないのである。

 エネルギーを持たないカナーンは、もちろん人間性=「基準」という感覚、感性、エネルギーをもたない。だから人間にゴミ処理所のような場所で寝ろといわれたら、嫌である、「汚い」「気持ち悪い」などの感覚、つまり人間性があるからだ。つまりそれは「基準」である。その基準とは何か「清潔と不潔の間にある感覚」である。

 例えば動物をゴミ処理所に収容したって、動物はそのゴミ処理所で寝ようが、住もうが関係ない、それはなぜか、その基準、つまり人間性がないからなのである。

 つまり人間にあるエネルギーとは「清潔な空間は心地よい」そして「不潔な場所はここと悪い」と感じる感覚がついているということだ。つまりそういう基準によってまた文化を築き、その基準によって生活し生きている、言動を取っているものが人間だ。ところがカナーン人は違う、そういう感覚がついてない。では彼らは、この人間社会で、ゴミだらけの場所であるとか、散かっているところを整理したりしないか、というと違う。彼らの行動にも「人間性」を思わせる行動はある。またそういう言動もある。けれども彼らのその「人間性」を思わせる行動言動は、今言った「感覚による基準」ではないということ。つまり結局それはどういうことになるのかというと「偽」ということになるのだ。

 だから彼らは人間の社会にあって、「人間性」を思わせるような発言や言動を取っている。「こんにちわ」「おはよう」「大丈夫ですか」「ありがとう」「整頓しなさい」などなど、普通の常識ある「人間性」を思わせる発言をしている。けれどもそれは人間のような感覚から来るものでないために、すべて嘘というか、別に思ってもいないこと、そう感じてもいないことを、ただ人間語にして発言しているだけなのである。つまりそのようなカナーン人の「偽」を「真」として人間が受け取るとどうなるのか、すでにその人間は、偽を真として受け取る、つまり「間違い」というか、自分自体が「偽」つまり陰、反に変わってしまっているのである。反は災いをもたらす力である。つまり、彼らが「おはよう~」と心地よい態度で接してきた、その言葉に対して、同調し、真に受けて「おっはよう~」と人間が答えると、もうそれでその人間に災いが起こる。そのカナーンに返事をしたがために、タイミングがずれて、注意がそれで、目の前にある椅子に足をぶつけたり、階段を踏み間違えたり、陰、つまり災いが起こるという具合である。

 それはカナーンの言動に同調するということは、自分の軌道を「陰」に変えてしまうことになるからだ。従ってカナーンの言動の一切は「偽」であると認識しつつ、その言動に対処するしかない。また無視できる環境(会社など組織的内部)であれば、カナーン人とは一斉接触を持たないことであり、近づいてくるようであれば離れ、無視できる環境(私的な場所)であれば、無視した方が良い。ただ無視できない会社の上司にいるとか、組織内で共に活動をしている場合は、一切その言動を本当だと思わずに、決して動作や態度にも同調したり賛成したりするのでなく、言っているともやっていることもすべて「偽、嘘」であると認識しながら、その言葉には事務的というか、普通に受け答えしているように、こちら側も造るしかないのである。

 

カナーン(悪霊)の起源をたどれば、実に前宇宙、数千億万年以上も前になる

 カナーン人、つまり悪霊というものが実際に肉体化してこの地球上に出現してきたのは、そのノアの時代であるからだいたい8000年ほど前のことであるにしても、その悪霊には悪霊としての、実に古い歴史がある。その起源は前宇宙とも呼べるような、遥か、この銀河宇宙太陽系というものが出現した当時、ビックバン、それらの当初から、実はこの広い宇宙のどこかにいた生物体である可能性は高い。

 彼等悪霊そのものが一体どんな存在であるのか、そして私の言うその他霊統、他霊団とは過去、人類や神々とどのように関与してきたのか。その事実を聞けば、あまりの驚愕衝撃性で、場合によっては純粋な女性、乙女はショックで、精神がめいってしまうかもしれないが、事実であるから語る。

 又この話を、私はできるだけ世界中、日本中にいるキリストの信者とかのいわゆる「信仰」を持つものに聞いてもらいたいと切に願っている。これは「神の念図」でもあるからだ。信仰者といってもいろいろあろうが、自らは神の子として、神を自分の創造者、親とも認識し、神を愛する信仰者、肉体は神から授かったものと認識して、神に感謝する純粋なもの、神を敬愛するもの、神を称えるもの、いわゆる本当に信仰のあるものに今から述べる事を伝えたいが、その内容があまりにも衝撃的となるので、心して聞いてもらいたい。

 

他霊団とは、この銀河宇宙太陽系を創造した、創造主の世界に侵入してきた、別宇宙の存在だ

 私の言う他霊統が、以前は肉体を持たない霊魂体であることを述べた。それらの霊魂体はいったい、いつ頃この太陽系宇宙、地球に侵略してきたのかというと、もう数千億万年以上も前のことであるが、人類もその当時はまだ、地球上に今の肉体を持って生活をしているような、肉体人種にはまだなっていないころだと思われる。

 この太陽系を創造した中心的存在、中心者はいろいろな宗教上で呼び方はあるようだが、日本では国常立尊、もしくは国万造主大神、また観音と呼んだり、イスラムや西洋ではエホバ、ヤハエ、アラー、などと呼ばれている神がそれに該当する。その神は従い、人類にとっての創造者であり、この宇宙銀河を創造した神ということになっている。

 その神がある時期に、以前行った「八尾大陣大神」と、政権を交代するわけであるが、そのときに、この地球に侵略してきたものが、その他霊統だと考えられる。

 彼らは当然そのときまだ肉体を持たない、霊魂体である。それらの霊魂体は、おそらくその政権を交代した際にその八尾大陣大神と共合して、その天地を創造したという神を、地球や銀河宇宙から追いやってしまい、その神の姿、つまり霊体を食べてしまったという、霊魂である。 

 

それらの霊魂体は後の宇宙で、肉体を象った 怪物として地球を侵略する

 

 その八尾大陣大神というのは、実はその古事記神話でいう「ヤマタノオロチ」のことなのではないのかとも考えられる。そのヤマタノオロチの系統となるものが、そのときに無数に霊魂体としてその宇宙に出現し、国常立尊と敵対して追いやった。

 そのオロチ系統というものが、後の他霊団として今日、この日本にも世界にも沢山いるのであるが、彼らはこの地球に来た当初は、肉体をを有する、何かその怪物のような姿でこの地球に来た。オロチであるから、何かは虫類や蛇に類似する、怪物、怪獣といったところで、事実によると、それは山田大蛇族というように記録されており、無数に複数の集団としてこの地球上に侵略してきているということだ。

 そしてその大将のような存在として、ヤマタノオロチがいたのかもしれないが、それらの系統になるものは、山田大蛇族として、怪物としてこの地球に当初は来た。

 はじめ、霊魂体であった彼らは、当時の地球の統治者的存在である、イザナギの皇后でもあったイザナミ皇后を姦淫した、レイプである。

 彼らは本質的に「姦淫怪物」なのである。イザナミ皇后とは陰神ではあろうが、その陰の姿、神の姿は聖であり、その聖は聖なる形として存在する、これは以前行ったが神のお姿そのものである。つまり円形に十六の切りっぱなしの線が延びたようなオーラーを発するお姿だと思えばいいだろう。その聖を犯し、侵略してきたものが、それらの霊魂体なのである。つまり私の言う他霊団である。

 彼らはイザナミの時代はまだ霊魂体、つまり悪霊としていたのであろうが、後のアマテラスの時代になると、肉体化して、物質体としての怪獣としてこの地上に存在するようになった。それが古事記で言うヤマタノオロチを意味し、実際にはその山田大蛇族という徒党集団であったという。

 

アマテラスとヤマタノオロチ神話の真相とは

 

 古事記を見れば、イザナギイザナミは国生みというか、いわばこの地球にあるような大陸を創造していたわけで、それらの存在は当然神々ということになっている。つまりその当時はまだ、現在のような肉体を持った人類とはいなかったのではないのか、とも考えられよう。

 それが後の世のアマテラスの時代になると、国土というものも完成し、大陸も完成していた。つまり地球には今日の人類がいるのである。おそらく姿も形も現在と大きさに違いはあったとしても、ほぼ現在のような人類の姿になっているといえよう。おおよそ、60億万年前のことであろうか。

 だからアマテラスは確かに記録を見ると、上古王朝22代、天皇になっているが、その西暦はだいたい60~200億万年前に統治した天皇で、その次世が11世あるにせよ、以後、23代、24代、25代と天皇は続いてゆくが、その統治年数自体は、数億年で、アマテラスが統治した22代、200億万年から比べつと遥かに短い。

 つまり上古22~25代にかけては、地球に現在のような大陸もあり、日本もあったということである。だからアマテラスも霊魂としての神でなく、人体を持った神、天皇として地球に降臨したのである。

 そのアマテラスが降臨した地は、飛騨高山になっているのだが、そのアマテラスは、神通川を天浮船で下って行き、現在の越中で政治を執り行った。

 日本列島というものがすでにあるのであり、日本列島は当時から、形は現在と若干異なろうが、やはり龍体をした形で、なぜアマテラスがその越中で政治を取るのかというと、その越中はちょうどその龍の背中の部分に位置し、それはアマテラスがその龍に乗った姿で、政治を取るという霊図があるからで、故に越中なのである。またその龍体をした日本列島の形は、国常立尊の霊体でもあるのである。

 

  

他霊団とは、以前、越中山田に生息し、集団化していた

  その他霊団は、自らの肉体を持ち、怪物的存在としてこの地上に存在したが、その実態は、聖を犯し、姦淫し、かつ食べるという性質である。地上には美を司るアマテラスの子孫となるような姫をはじめとする、人間の形は聖を象徴した。その聖に興奮し、まるで磁石のように衝突作用を引き起こすそれらの怪物は、地上の女性をことごとく姦淫して、食べてしまう怪獣として、日本に生息していたのである。後の他霊団である。

 この地球ははじめ、日の神々が統治していた。火霊である。それらの火霊は、聖霊美とも言える存在で、いわば聖母マリアであるとか、聖なる存在であるが、彼等その他霊団にあるものは、その聖なるもの、聖なるエネルギー、聖霊、聖魂を、捕食するという霊魂であったのだ。つまり彼等、他霊団の実態は、「神を捕食する」という怪物のエネルギーからなっている霊統で、地上ではその神のエネルギーが物体貸した形、聖なる形である女性の人体を食べる、さらにはその魂までをも食べてしまう、そういう霊魂として、その霊魂が肉体化したものとして、当時、越中に無数に存在したのである。 

 

彼等他霊団にある究極の欲望衝動は、聖美魂を捕食することである

 そして彼らにある性欲的願望とは、もちろん一切その対象は「聖」であるが、聖(ひじり=霊智り)である。

 聖なる神々の額、そこに宿っている聖エネルギー魂、それをむさぼって食べること、実はそれがその怪物、ヤマタノオロチ、又その系統にあるもっとも根底にある願望欲望である。

 彼らはまぎれもなく、太古より、この天地宇宙を創造してきた聖霊なる神々をことごとく食べてしまい、地上にあっては神が肉体化してきたという天皇家、アマテラスの姫を食べたり、多くの地上の女性を、限りなく食べてきた霊統集団なのである。そして彼らにある願望とはその人体侵略的な姦淫であり、その究極の行き着くところは、その根底にあるものは「神聖の魂を食べる、むさぼる」という願望である。

 

彼らの根底にある衝動行動は、魂(聖産形)を飲み込むことである

 聖霊というものは、通常その姿が非常にそのうっぽいというか、幼い。つまり日本人というのは他の民族よりも幼く見えたり、つまり赤ちゃんのような顔つきであると。つまり「可愛い」というものを司るものであるが、彼らにあるものとは、その「可愛い」という形、それを食べる、もしくは飲み込むという性質である。

 それはなぜ飲み込むのかというと、性衝動的な強い願望によるものである。つまり性的衝動願望が引き起こされると、彼らは、究極はそれを飲み込んでしまうというものである。

 人間の魂というものは「聖」を司る。聖エネルギーである。サタン、つまりその怪物にある本当の姿とは、その魂を飲み込むという原理である。地上にあるあらゆる姦淫とは、その怪物サタンにある原理、衝動が、また別の形で出現しているもので、実際彼らの元にある力、本能とは、今言った、魂を飲み込むことであるということ。

   

彼らは明らかに地球人を食べに来た、怪物種の末裔だ

 例えば可愛いうっぽい形、赤ちゃんでも、美女でもいるとしよう。聖形である。まさか、それを飲み込みたい、可愛さのあまり飲み込んでしまいたいとなる性欲衝動を持つ、人間は地上にはいない。

 彼らはその地上でかつて、その国常立尊を追いやり、その龍体を食べたというエイリアン種、太陽系以外から来たという霊魂の末裔である。

 彼らは歴史の過程で、スサノオやその子孫のオオナムジと対立し、一時この地上から滅びたのかもしれないが、その霊魂が、後に私の言う霊魂で人体で霊魂である、人体化した悪霊となり、ついには後にカナーン人としてこの地上に出現してきているということ。

 そしてその本質は、太陽系宇宙構造原理にはなっていない。

 

その怪物はかつて地上の人間の魂を無数に捕食し、手勢とした

 聖書に「善悪を知る木の実」の話が出てくる。つまりその木の実の周囲には蛇、サタンがいた。神がその地上の人類に警告していたのは、その知恵のみを食べてはいけないというもので、それを食べるときに必ず死ぬということが言われていた。なぜ死ぬのか。

 何らかの怪物が、その人間の魂を食べる、飲み込む、するとその人間は死ぬ、その怪物の一部となる、つまり手足となる。そのような真実が隠されているのではないかと。

 つまりその善悪を知る木の実は「近親相姦」を意味した。つまりサタンがその行為を誘惑したときに、もしそれを行った場合、その人間はその場で、魂を蛇、つまり何らかの怪物に捕食されて取り込まれ、その怪物の一部となり、人体も何もかもが、その怪物のエネルギーで動くように切り替わり、自分自体の中身、つまり生命も人格も、人間性までもが消えてしまう、その人間の人体はその怪物に統合され、その怪物の内部にはその人間の遺伝子がある、つまりその人体はその怪物の意のままに動く、生命を宿さぬ、生きたゾンビに変わってしまうと言うものである。

 彼らにはあるべき知性も人間としての善悪、基準も存在しない、ただのその怪物のエネルギーで動いている人体と化した。

 それがまたノア以降の時代に発生してきたカナーン人だとも考えられる。

 

サタン、古い蛇とは何か

 

 聖書には始めの人間として描かれるアダムとエバが、その禁じられてきた木の実を食べたとある。そのときにいわば人間を唆したのが、ルシファーではないのか、とする見方がある。聖書にはそれが実際にルシファーであるというようには書かれていないが、それがルシファーのことを言っているのではないのか、と考えられるのである。

 ルシファーとははじめ、天使であった。だが、途中で下落して、蛇に姿を変えられた。その蛇がまた、今言ったヤマタノオロチとも通じるのである。

 聖書では、アダムとエバを唆した存在がいるが、神がその存在に下したことは、罰として、姿を蛇に変えるというものであった。そのアダムとエバを唆したものがルシファーであるとしたならば、ルシファーは実際には蛇の姿をしておらず、天子、つまり鳥、鶴を象徴するような天使の姿だったのであろうが、神に、蛇の姿に変えられた。

 八尾大陣神、それが蛇の姿を象徴するものであれば、その妻の大鶴姫大神は鶴を象徴しよう。ところが蛇と鶴は、実は鶴からその羽などを取り除くと、蛇と似たような形になる。つまり天使(鶴)が落ちる、地上に落ちる、地べたに落ちると、堕落すると(蛇)を象徴した姿に変わる。

 その古い蛇は、サタンであるがルシファーであるとしたら、ルシファーは本来天使、鶴であるが、堕落して蛇になった。というようにも考えられる。

 そしてその蛇になった姿がまたヤマタノオロチの怪物で、サタンは、その蛇という怪物になり、その人間の魂を飲み込んだ。その蛇こそが私の言うナーマーである。